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SOMMELIER
 

多感な思春期を過ごして参りました。中学生、高校生の お子様とのかかわり方、そしてより自分らしい生き方、伝授します。

資格取得級 言葉のソムリエ 3級
総選挙ポジション 総選挙ネクスト講師
協会推奨基準 アナリスト(白)
総選挙ポジション責任者 キャプテン
登録年月日 2015年2月1日
有効期限日 2019年2月3日
コンサル料金 5,000円/時間
活動場所 神奈川県・熊本県・長崎県・佐賀県・福岡県・高知県・愛媛県・香川県・徳島県・山口県・広島県・岡山県・島根県・鳥取県・和歌山県・奈良県・兵庫県・大阪府・京都府・滋賀県・三重県・愛知県・静岡県・岐阜県・長野県・山梨県・福井県・石川県・富山県・新潟県・群馬県・栃木県・茨城県・千葉県・埼玉県・大分県・宮崎県・東京都・福島県・山形県・宮城県・秋田県・岩手県・青森県・北海道・鹿児島県・沖縄県
スカイプ講義 不可
 

PROFILE

1984年11月14日、AM8:15山口県下関市にて堂々生まれる。

永後家の第一子。
なぜかはわからないけど
キャリアウーマンになるようにと、つけられた名前は「佐知子」だった。
ただ、物心ついた頃からアタシはこの名前が嫌いだった。
「キャリアウーマンになるように」と付けられた名前のくせしてからに、
何となく男に縋って生きてそうな...
不幸せそうな匂いのする古臭いその名前をアタシは心底嫌いだった。

異性を意識するのも早く、幼稚園に上がる前には父親との入浴を
拒否していた記憶がある。

幼い頃から、「おませさん」なんて可愛い言葉ではすませられず、
「早熟」と言うことばがピッタリのアタシは、
中学、高校と学生時代は完全に浮いた存在で先生を困らせた。

髪を茶色く染め、職員室に呼ばれ「黒く染めなさい」と叱られた時。
「同じ『染める』っちゅー行為なのに、
なんで黒は良くて茶色はだめなん?」と聞き返し、先生を困らせた。

受験も差し迫る中学3年生の春には両耳にピアスをあけた。
またまた保健室で叱られていた時。
「東京の中学生は、ピアス開けちょるってニュースで言ってたやん。
何でいけんの?校則には無いやん。」
「東京の中学生は違うやろ!?ここは山口県やん。」
「けどさぁ、同じ中学生やん!!!何が違うん???」
はたまた、先生を困らせた。

屁理屈をガタガタ言う傍らで生徒会活動に勤め、
成績もそれなりに優秀だった。

もちろん両親も、そんなアタシの扱いには手を焼いていた。
胸元のザックリ開いた服を着ようとすると
「もう少し学生らしい格好をしなさい。」といつも言っていた。
親の買ってきた服を「こんな野暮ったいダサい服着れるか、ダボ!!!」と、
そのままゴミ箱にいれたこともある。

今思えば、山口県にいたころは何もかもが窮屈だった。
その窮屈さから逃げるように、アタシはピアスを開けた。
受験が終わる頃には両耳、鼻と合わせて13個のピアスが開いていた。

無論、高校に上がってからもこんな調子で、浮きまくる(笑)
行き場の無い気持ちをかき消すように、いつも音楽を聴いて過ごした。
無事!?高校を卒業して、まずしたことは改名だった。
「永後 琉由花」
この名前のように、強く綺麗にいきてみたい。。。
そうおもっていた矢先
昔ダンスをしていたときに仲の良かった2つ上のせんぱいに
「お笑い芸人にならないか?」と持ちかけられる。

「あなたとだったら、絶対売れる気がするから!!」と、
うまくおだてられ(笑)
お笑い芸人になると言う夢を掲げ二人で上京。
19歳、二十歳になる少し前のことだった。

けれど、華の都・東京はあまりにも厳しかった。
家賃に生活費、初めて親元を離れて、浮かれていた気持ちも手伝って
とにかくお金を使って遊んでいた。

共に上京し、一緒にすんでいた2つ年上の先輩の相方とも、
上手くいかなかった。
生活習慣から価値観まで、何もかもが違いすぎて、
ささいなことから喧嘩が始まり、次第に回数も増えていった。
そして、お互いがおたがいを認めあえなかった結果、
半年と持たずにコンビは解散した。

「アタシは、何をしに東京へ来たんだっけ?」

何度も自問自答した。

両親にも沢山心配をかけた。
電話をかけてきては「帰って来い」と言う親と電話口で何度も喧嘩をした。
「死んでも帰らん!!」といいながら、
困ったときは度々送金してもらいながら生活していた。
けれど、やっぱり山口に帰ると言う選択肢はなかった。

正確に言えば、あの狭苦しい世界にもう戻りたくは無かった。

山口に帰りたくない一心で、夜の世界に足を踏み入れた。
きらびやかな世界で、慣れない仕事は辛かったが、
びっくりするほどのお金を1日で手にしたときは、
思わずまばたきを3回してしまった。

笑って流さなければ、やりきれなくなっていく。。。

毎日、沢山笑った。けれど、その倍オカマバーで泣いていた。

お金をもってるお調子者キャラでいるのにも正直疲れた。
真面目に自分の人生について考えてみよう!!!

そんなとき、一人の天使が目の前に現れた。

「心の開き方を教えてください!!!」といったアタシに、
爆笑しながら「なんで心の開き方を知りたいの?」と彼女は言った。
「心の開き方を知りたいなら教えてあげるよ」という天使の声に
彼女と沢山の話をした。
すると「そうなの!?」「なんで!?」っていう言葉ばかり
アタシはかなりの衝撃を受けまばたきを3回していた。

そしてちょっとぽっちゃりな、その天使に導かれ「言葉のソムリエ」の
扉をひらくことになる。

なんかよぉ分からんけど、ぶちわくわくするだいっ!!!

びっくりする様な、人生をひっくり返すチャンスが目の前に飛び出てきた、
そんな逸る気持ちでいっぱいだった。

そんな彼女と二人三脚、1年半をかけて
「言葉のソムリエ」を学んできたアタシは大きく変わりました!!!

心配をかけた両親への感謝の気持ちが生まれ
アタシが生きていること、産まれてきたこと、沢山のここでは語れない、
今まで起きてきたことの全てが、急速に繋がりはじめています。

そして、これから出会う誰かのの人生を、
より楽しく面白い世界へいざないたい!!!
あたしの大切なひとにとっての、しゃくれ天使になりたい!!!

そんな気持ちから、言葉のソムリエの講師になることを決意。

ドキドキと不安が半分こっこで講師研修を受けました。

研修では、とにかく甘ったれな自分を叩き直され、時々心がおれそうにもなりましたが、それに勝る未来への希望が大きかった!!!

研修日のたびに新しい発見があり、
講師としての自覚も芽生えてきました。
今までめんどくさかった事ができるようになり
周りの人と関わっていく事の楽しさをしり、
そんな自分の変化にびっくり!!!
やっぱりまばたきを3回していました(笑)。

講師研修は、また私を成長させてくれました。

たくさん失敗してきて、自分という存在にたくさん悩んだ過去。
何事もうまくこなせない自分が、大嫌いでした。

うまく見せようと必死だった自分を、ものの見事にぶち壊され・・・。

少しずつ心の鎧を剝がす日々を送りました。

晴れて講師となった今

これまでの失敗も、悩んだ過去も

『言葉のソムリエ講師になるための肥しだったんだなー。』

と、思えるようになった自分がいます。

言葉のソムリエを通して、自分自身を認められるようになりました。

この感動を一人でも多くの人に伝えたい!!!

そんな思いから、言葉のソムリエ講師として

言葉のソムリエを広める活動をしています。

COMMENT

『本当の自分になる』ことの大切さ、教えます。

何にもとらわれずに、あなたらしく生きてみませんか???

簡単なことではありませんが、世界はとても拡がります。

『言葉のソムリエ』を通じて私に、そのお手伝いができれば幸いです。